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科目別個別指導の強みや弱み

国語や数学(思考系)

(とりわけ国語や現代文においては)教師と生徒様がそれぞれ1冊ずつテキストを用意して、いつでも文章が参照できる状態にしておくのが前提です。

 

そうすることで、文章に対して最大限の集中力を発揮できるようにしておかないと、要らぬところで効率が大きく落ちてしまいます。

 

国語の点数はその生徒様の読解力と記述力(表現力)によって決まるものであるため、最初の段階である「読み」は慎重に行う必要があります。

 

特に難しい概念が現れたという場合には、その概念について正しく理解していないと大きく筆を誤る可能性が高いため、つまづいているかどうかの観察はとても重要になります。

 

そのうえで、設問の内容も正しく「読解」したうえで、解答で求められていることを正しく把握できているかどうかを見ます。そうして、やっと回答を書き始め・・添削。

 

 

上記の流れは、集団授業では極めて間接的なものになってしまいます。

学校の国語の授業を思い出していただければわかるかと思いますが、生徒がたくさんいると個別対応をしている暇がないため、本文の「正しい解釈」と「模範解答」を示して、それで終わりにせざるを得ません。

 

ただし、個別指導(個別対応)のほうが絶対に良いかというと、そうとも限りません。

教師がうまくアドリブをしつつ、生徒様が主体的に参加できる環境を構築し、維持するのは単なる「指導マニュアル」という域を超えて、教師の「能力(才能)」が重要なカギを握るからです。

 

ですから、とりわけ国語の個別指導(家庭教師)を探される場合には、教師の吟味や体験授業、そしてもちろん普段の授業を受けての生徒様の感想はいくら重要視してもしすぎることはありません。

 

正直国語(現代文)の個別指導は、その人の今後の人生にも影響を与えるほどの有意義なものから、無意味なに近いものまで千差万別です。

 

その点集団授業なら「ハズレ」になる可能性は低下しますが「アタリ」になる可能性も低く、まして「ドンピシャ」になることはありません。

手間を惜しまず、よい家庭教師(個別指導塾)を探すことは重要です。

 

 

数学についても同様です。

応用問題になると、問題の要求を正しく解釈する作業が不可欠で、

正しい解釈→問題の明確化→計算処理→答えというプロセスを経ます。

 

自分で問題を解くのが得意な教師は非常に多く、また「○○試験で○○という成績をとった。だから教えるのがうまい」とおっしゃる教師も散見されますが、それは宣伝としては正しくても、教師を選ぶ目線としてはお勧めしかねます。

 

もちろん、教師が教える分野についてしっかり理解していることは前提ですが、教える技術というのはまた別ものであり、また教師の性格や相性も加味して、上記の数学力を鍛えるためのプログラムを実践できるかどうかということから判断されてください。

 

 

さて、殊に国語(現代文)や数学を典型とした思考系の科目の場合には「結果」よりも「過程」が重要なことがあります。

とりわけ教育の場合には、段階を踏んで成長していくためそれぞれの生徒様に応じた「過程」を用意しなければなりません。

 

 

したがって、国語と数学、この2つの科目において生徒様の個性を実力にするためには、個別指導(家庭教師)という選択になるでしょう。

 

 

しかし一方で、個別指導の場合「同級生」がおりません。

同級生は良い刺激になるだけではなく、一緒に学んでいくことで別の目線を知ることができる非常に有意義なパートナーです。

 

個別指導の場合は「刺激が少ない」と取られても仕方のない側面があります。

 

そのデメリットを補うのは、教師の役目です。

教師が理解が少しでもあいまいなところを発見したら、突っ込んだ質問をして吐かせるということを徹底し「個別指導」にありがちな「甘さ」を除去していきます。

英語または古典(他言語による思考)

数学と並んで個別指導塾や家庭教師の定番ともいえる「英語」ですが、果たして「理想的な個別英語の授業」というのはどのようなものでしょうか。

 

まず、文法や単語といった「知識そのものの定着」と、

長文読解や英作文などの「知識の運用」とでは大きくパターンが異なります。

 

前者については、あまり教師が前に出すぎると「知識の詰め込み」以上の意味はなくなってしまいますから、宿題などを通じて生徒様が「発言できる環境」を準備してから指導に入るのがよいと思っています。

 

ある程度知識を詰め込んだうえで、その文法事項や単語の意味について説明すると、しっかり理解が定着してくれます。

 

後者については、国語の読解や作文と似ている部分も多いです。

ただ、内容はさておくとして、その英文理解なり英語表現が正しいかどうかというチェックをする必要があります。

その際には、こちらが出しゃばりすぎないように注意が必要であり、生徒様に大まかな内容をつかませて、こちらに積極的に質問してくるという条件を整備しなければなりません。

 

繰り返しになりますが、個別指導では「教師が出しゃばり過ぎないこと」「生徒様にある程度ペースづくりをゆだねること」が、勉強効率に大きな影響を与えます。

 

英語は一見教えるのが簡単そうな科目に思われるかもしれませんが、そのように「一見見える」科目こそが、実際には生徒様に理解させ「血肉の知識として」自分のものにしてもらうのが難しいといえます。

 

長文読解を例に言えば、教師が全訳してそれを聞かせるだけでは意味はほとんどなく、一度生徒様に全体を読ませてから「ここが難しかった」「ここはこう考えた」などのフィードバックをもらい、それを一つ一つ検討することが「記憶に残る授業」にするために重要です。

 

そういうわけで英語も「教師のアドリブ」が重要になるのです。

 

 

また、 国語の古典についても英語と同様のことが言えるかと思います。

暗記という割合が大きくなり、一方で深い読解が求められるという要素がある程度は後退します。

ですから、一語一語の文法的な側面を理解しながら読めるようになることが重要です。

 

古典については、集団授業か個別指導(家庭教師)かは判断が分かれても仕方ないと思います。

 

集団授業の場合には、自分で授業内容を取り込んで暗記していける生徒様なら結果につなげていくことも比較的容易でしょう。

 

一方で個別指導では、教師によりけりという側面はあるものの「より自分の理解のペース」をもとにした「(単なる丸暗記よりも)理解先行」の授業を行うことが可能です。

 

 

「良い教師」に出会えれば個別指導(家庭教師)のほうが英語、古典ともにおすすめではありますが、コストの問題や「ハズレ」になるリスクを重要視される方は、集団授業にするか、両者を併用されるのが良いと思います。

理科、社会(暗記→思考)

理科や社会も最終的には思考する科目になるのですが、その前提として暗記しなければならないことが多いのが特徴です。

 

ですから、指導する内容も

 

1.必要事項の暗記

2.必要事項の理解

3.思考する問題の実践と理解

 

というステップを踏むことになります。

 

2と3で個別指導の強みが出てくることはいいのですが、問題は1の段階です。

「暗記」する段階は(教師と)一緒にやる意味はあるのかどうかということです。

 

これは正直生徒様によると思います。

どういう意味かといいますと「物事を関連付けて覚える」ということをある程度自分でできるかどうか、ということです。

 

単なる「漢字」や「英単語」の暗記と違って、理科や社会の暗記事項というのは相互のつながりが強く、また出てくる順番も大きな意味を持っていることが多いです。

 

正直、教科書の事項をすべて暗記しようとなったら結構な時間と手間がかかります。

時間、とりわけ授業の時間は限定されていますからこのステップに時間を割くとほかの、理解や思考する問題(要するに記述問題や資料などの読解問題)に時間をさけなくなり、全体としてのバランスが悪くなってしまいます。

 

ですが、それでもケアしなければならない生徒様はいらっしゃるので、このあたりはケースバイケースとなります。

また、暗記の段階では個別指導を受けるのと、集団授業で教えられることの違いはそこまで大きくないのではないかと思います。

 

むしろ集団授業のほうが周りの人の刺激を受けられるからよいとさえいえます。

 

一方で、理解やそれを表現する段階になると個別指導のほうが優れていると思います。

というのは、暗記はまだ自省することが可能ですが、理解や表現は自分で確かめながら高めていくことが難しく、第三者が様子を見ながらペースを作っていったほうがよいからです。

 

ですから、理科や社会は集団授業(学校や大手塾)と個別指導(家庭教師)とをうまく併用していくことがよりいっそう重要になります。