目次
1.国語は数学や英語とどう違うのか
2.国語力を伸ばすために必要なこと
3.個別指導の可能性

1.国語は数学や英語とどう違うか
一般的な塾や個別指導、または家庭教師の特徴としては、数学や英語がメインであり、これらを教えられる教師は非常に多く(形の上では)存在するということです。
一方で国語の指導に関しては、あまり力を入れていないところがほとんどであり、漢字や熟語の意味の指導にとどまり、あとは「勝手にやっておいて」といわんばかりです。
ただ、上のようなトレンドを必ずしも手放しで批判することはできません。
国語という教科は、数学や英語とは確かに違うからです。
数学や英語の特徴と、国語の特徴を次の3つの観点から比較してみましょう。
①明確な答えの存在
数学や英語は明確に答えは存在するけれども、国語の答えというのは言われてみれば「なるほど」ということではあるが、なかなかつかみどころがないとよく言われます。
しかし、これに関しては私は異議を唱えたいと思います。
国語も、本文に書いてあることを根拠に応えなければならないという縛りがあり(作文はまた別ですが)、本文のメインテーマや論旨にあたる部分というものは確実に存在するからです。
②解答に至るプロセス
では、答えそのものではなくそこに至るプロセスはどうでしょうか。
数学や英語などは、この問題が出たらこのように答えるという「ひな形」はある程度用意されています。
一方で、国語の場合には確かに「傍線部の前後を探せ」というような対症療法的な教え方はあるものの、私はこの答えを探すプロセスこそが一番の大きな違いだと思っています。
そこには確かに「フォーム」は重要になる側面はあるものの、それでも母国語で論理的に文章を把握するという、ある程度高度な思考力が必要になるからです。
もちろん数学や英語もハイレベルになれば、単なる丸暗記は通用せず、それぞれのエリアにおける思考力が必要になります。
ですから、第2の点における違いは存在はしますが、そこまで決定的であるとは言えません。
③指導する側に求められるもの
実は、この点が一番の違うではないかとみています。
数学や英語の場合には、①や②で触れたほうにある程度のレベルまでは「定型化」されていますから、教える側としてはやりやすいのです。
一方で、国語は基礎のレベルから「思考力」が純粋に要求されますから、その思考力を刺激して伸ばすための、別の種類の能力が必要になります。
この「思考力」を伸ばすということは、すべての教科で重要なことですが、多くの教育サービスでは単に公式や答えに至る過程などの「フォーム」を教えるだけ、あるいは間違ったところを指摘するだけにとどまっています。
ですから、結果的に国語を教えるということは教育業界において忌避されてきたのではないか、とみています。
2.国語力を伸ばすために必要なこと

国語力とは「母国語における思考力」です。
人は母国語によることで、最も深く物事について考えられます。
また「フィーリング」とか「感性」に多大な影響を与える要素でもあります。
ただ、基本をなす能力というのは概して伸ばすのが難しいという側面もあります。
私が、そのうえで国語力を伸ばすための方法として考えているのは、つぎのようなものです。
①本文の構造を「つかむ」練習
②本文の内容を「まとめる」練習
③問いの求めている要素を「分解する」練習
④問いに答えるために要素を「構成する」練習
事実と理由、具体例と一般的なもの、あるいは心情と行動、のように本文中には性質の異なる要素がちりばめられています。
これらを濃淡をつけて把握し、また本文を内容や場面などに応じて分類することは、国語ができる人は無意識のうちに行っていることです。
しかし、苦手な人はそもそも本文全体をサラッと表面的にしか読んでいないため、全体の理解が非常にあやふやであいまいなものにしかなりません。
したがって本文を「深く」「精密に」読むという訓練が必要です。
授業中や宿題を通じて、一つの問題に対してかなり時間をかけて取り組むのはこうしたことが根底にあります。
3.個別指導の可能性

上記のような「深い」読みは、多人数型の授業ではなかなか実現できません。
特に、こういう読み方に不慣れな人の場合には、わからないところを無意識のうちに飛ばしていることが多いため、教師の側からも積極的な働きかけが必要になります。
したがって、参考書や自学自習だけではなかなか補いきれない部分を補うためには、個別指導という形式が最適であり、また不可欠であると考えているわけです。
もちろん、教える側としては、単に説明を羅列するだけではなく、生徒様の考える力を「引き出す」スキルと忍耐強さが必要になりますが、家庭教師の白井ではこの点に最も力を入れていると自負しています。